通用門を新設して警備させたことから

 新門辰五郎

BGM / Takao Horiuchi / Koiutathuzuri

 

新門辰五郎 1800-75   幕末の町火消で侠客 寛政12年(1800)錺職(かざりしょく) 中村金八の長男として江戸下谷山崎町に生まれ
    「幼くして慧敏(けいびん)長じて胆略あり」といわれた
    東叡山輪王寺の衛士である町田仁右衛門の娘れん(辰五郎の女房となって おれん)の婿養子となり
    輪王寺宮(仏門に入った宮様)が金竜山浅草寺に隠居したとき
    通用門を新設して辰五郎に警備させたことから 新門の辰五郎と呼ばれるようになった
    江戸町火消を組の頭から十番組の頭取となって活躍した
喧嘩 追放 投獄 活躍   弘化2年(1845)柳川藩の大名火消 有馬火消との喧嘩がもとで町奉行に自訴し
    江戸10里外に追放の刑」を受けたが 夜はひそかに帰って妻妾宅に泊まっていたという
    辰五郎は「江戸に潜入した罪」で再び捕らえられ佃島の獄に投ぜられた
    翌年1月の大火で一時放免された辰五郎は消火活動で大活躍した
    その功により特赦となり新門の辰五郎の侠名をはせた
慶喜上洛 鳥羽伏見   元治年 一橋慶喜(15代将軍徳川慶喜)上洛に際し 黒川嘉兵衛の推挙によって禁裏守衛を
    仰せつかり辰五郎は子分3000人のうちから200人を率いて随行し警護防火に尽くした
以後 慶喜に重用され水戸駿府などにつき従い 鳥羽伏見の戦いでは荷駄役を務め
    彰義隊戦争にも参加した
    なお 辰五郎の娘芳は慶喜の側室
   

明治4年 辞して浅草に帰った 同8年(1875) 919日没 享年76 菩提寺は盛雲寺 西巣鴨48

辞世の句が江戸っ子だ!   思ひおく 鮪の刺身 鰒汁(ふぐとしる) ふっくりぼぼに どぶろくの味
   

参考:田村栄太郎著「やくざの生活」1964

 

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函館かめらまん

2014/09/07